こんにちは!
代々木ゼミナール地理講師の宮路秀作です。
今日はひとつ、少しでも多くの人にお知らせできれば思って更新したいと思います。
突然ですが、「尾久守侑」って読めますか?
おぎゅう かみゆ
と読みます。
これは、横綱昇進のさいに力士が良く言う四字熟語とかでもなければ、日本の競走馬が香港のレースに出走するさいに充てられる漢字でもなく、ヤムチャの新しい拳法の名前でもありません。
人名です。
彼は、現役の医師にして詩人、しかも現役で医学部に合格したという、ルネサンス期における「万能人」みたいな人物。
そして、わたくしの教え子(←ここ重要)でもあります。
本来、「教え子かどうかは、先生ではなく生徒が決めること」であると思いますが、彼はきっとそう思ってくれているだろうと勝手に推測する次第ですので、「教え子」で問題ないでしょう。
教えていたのは、彼が小学生の時でした。
中学受験のための塾で算数と社会を教えていたわたくしは、そこで彼と出会いました。
歴史に興味をもった彼は、わたくしに色々と質問をしてきたのを覚えています。
そこで、彼に『日本史辞典』(角川書店)を与えたところ、一日中それを読んでいたのを覚えています。
辞典なのに。
算数が苦手だった彼が、将来まさか医者になるとは。
当時は思いもしませんでした。
「先生! (背番号が)51番といえば、やっぱり小関ですよね!」
普通、「背番号51」といえばイチローです。
しかし、当時西武ライオンズに所属していた小関竜也選手こそが、「背番号51の象徴だ!」と言わんばかりです。
といっても、小関選手はすでに背番号31に変更していた時期だったのですけどね。
いつも、斜め上に位置している彼でした。
そんな彼が、本を出版しました。
タイトルは、
『国境とJK』(思潮社)
http://www.shichosha.co.jp/newrelease/item_1774.html
です。
帯にこうあります。
廊下にもたくさん動かなくなった制服がおちていて、
でもわたしたちは歩いていく、きめていた。
わたしたちは今日、国境をめざす。
…………、………………、やっぱり、斜め上にいます。
良く詩を書いていて、賞を獲得していたのは知っていましたが、それが詩集を出版するというところまで駒を進めたことはとても立派なことです。
本を出すというのはすごいことですから。
本の批判をする人がいます。
「俺の方が、面白い本を書ける!」と豪語する人。
しかし、世の中は出版までこぎ着けられない人の方が多いのです。
実力があっても、その機会を得られない人はたくさんいます。
「少しの運」をたぐり寄せたわけですから、立派です。
さて、詩というものは、読み手が過去体験を思いだしながら共感することで初めて、感動が生まれます。
しかし、詩を書いた側の想いとは違うところで共感が生まれることもあります。
彼がどんな想いで書いたかは別として、わたくしが個人的に興味を持ったのは、一番最後の箇所。
おーい、姿のみえない君に言いたい。
ヲタクは最高だよね。
頭のてっぺんから足のさきまで僕を品評する君も、壊れた車掌さんみたいに同じ褒め言葉しか言えない君も、まなつの海を駆け抜けて、僕は僕の電車で全員を置き去りにしていく。
おーい、おーい、バーベキューをする君と君のフレンズが芥子粒みたいに小さくなっていく。
世界の表側から遠ざかる僕の電車、降車駅などなくどこまでも走っていく。
ヲタクになれなかった君たちが、永久に辿りつけない街に向かって、僕は迷わず驀進していく。
まだ純粋無垢で無邪気だった幼き頃から、医学部生として再会して酒を酌み交わし、そして立派な医者となった彼の言動を考えると、ここが一番、彼の「尾久守侑」たるゆえんではないかと思います。
彼の誇りを見てとれるのです。
あんたら批判ばかりしているけど、そんな君らなんて置き去りにして、どんどん先を走ってやるよ。
君らに構っている暇なんてないんだよね。
と言わんばかり。
彼の正論です。
本というのは、一冊の本が出来上がるまでに、実に色々な人が関わっています。
主役は著者ですが、編集者、デザイナー、印刷所の方、出版社の営業の方、書店員の方など、多くの力があって世に出てます。
著者が「でーん!」と構えているだけではダメ。
1人でも多くの人に「買ってください!」とお願いする仕事が待っているわけです。
わたくしは関係者ではないけれど、彼の今後を期待してぜひ協力したいと思いました。
だって、一回目に結果を出せない人は、二回目はないから。
チャンスは自分で作り、そして一発で仕留めるもの。
彼は、それを良く分かっている。
タイトルはちょっとアレですが、良かったらぜひ一冊お手元にいかがでしょうか?
▼尾久 守侑/Kamiyu Ogyu
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尾久 守侑って、読めない
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