【地誌編】アイルランド②

ケルト語を語源とする名称

みやじまん
みやじまん

今回は、アイルランド人が使用する「ケルト語」についてお話します!

①ゲルマン人の大移動

 ゲール語はケルト語派に属するので、アイルランドの人たちはケルト系民族と呼ばれます。元々このケルト人たちは、大陸ヨーロッパにいました。紀元前3世紀頃、大陸ヨーロッパのケルト人が最大版図を築いた時、ダーダネルス海峡を経由して小アジアに侵入して、現在のトルコのアンカラ付近まで席巻したといわれています。

 ところが紀元前一世紀ごろになると、ケルト人は色々な民族に支配されていき、最終的にはゲルマン人の圧迫を受けます。「ゲルマン人の大移動」は西暦375年です。この時、あの東側からフン人が「フンッ! フンッ!」と鼻息荒くやってきました。このフン人が後にマジャール人、つまりハンガリー人になったのではないかといわれています。

 このケルト人たちは西へ西へと移動してフランスとかスペインに移動していきます。やがてローマの、ガイウス・ユリウス・カエサル(BC100年 – BC44年3月15日)に征服されていきます。そして500年もの長きにわたってローマ帝国の支配を受けたケルト人たちは、ローマ文化に染まっていきます。

ガイウス・ユリウス・カエサル

 ケルト人の勢力範囲に、後にアングロサクソン人がやってくると、ケルト人たちはアイルランド島やウェールズなど、アングロサクソン人の支配が及ばなかった地域に移動するものもいました。そういった場所では、ケルト系の言語が残っていたりします。

②長い駅名
アングルシー島

 イギリスのウェールズ北部にアングルシー島という小さい島があります。このアングルシー島はケルト系民族が多く居住する地域として知られていて、ケルト語でこの表記された珍しい名前があり、ここに駅があって、名前が

ランヴァイルプルグウィンギルゴゲリフウィルンドロブルランティシリオゴゴゴホ

といいます。絶対に一回で覚えられない地名ですね。

 日本語に直すと、

聖キシリオの赤い洞窟のそばの早い渦巻きに近い白い榛(はしばみ)のそばの窪地にある聖マリア教会

という意味があるそうです。ここを通る電車は、「♪ピンポーン」と押して停まるのではなく、降車したい旨を車掌さんにお願いしないと停車してくれないそうです。

 「すいませんけども! 私はランヴァイルなんたらかんたらなんたらかんたらメンタンピンドラドラはねまして、で降りますよ!」と言わなければいけない。どう考えても降りられる気がしませんが、当然略称というのがあって、それを伝えれば良いのだそうです。

 イギリス国内にもケルト系の言語が所々に残っています。そんな中でもアイルランドやスコットランド、ウェールズといったところに、未だケルト系言語の話者がいて、彼らが現代のケルト系民族と呼ばれているわけです。

③河川の名前はケルト語が語源

 全長776 km、 かなり長いですがこのフランス北部を流れているセーヌ川というのがあります。これはフランスを代表する河川ですね。セーヌ川はの首都のパリ市内を流れていきます。

 セーヌ川流域の中程に「」があります。州というのは、河川が運んできた砂の堆積によって陸地化したもの。例えば、福岡市の博多の街を流れる中川という川がありますが、ここにも運ばれてきた土砂の堆積によって形成された州があります。中川の中心部に形成されたこともあり、「中州」と呼ばれています。

 セーヌ川にも中州があって、現地では「シテ島」と呼ばれています。以前、早稲田大学教育学部の地理の問題で、「セーヌ川のほとりにあるノートルダム寺院などで有名な島の名前を答えなさい」という、もはやクイズ王決定戦か!?という問題が出題されたことがありましたいや、毎年クイズ王決定戦をやっているが如くなんですけどね。

シテ島に建立されたノートルダム寺院

 「セーヌ」という名前は、ケルト神話の女神セクアナを由来としています。セクアナというのは「癒しの女神」で、ガチョウの形をした船に乗ってるんだそう。今日でも、この女神にちなんだ「セクアナの泉」という名前の泉が、ブルゴーニュ地方にあるんだそうです。元々「セクアナ」という言葉は、「ゆったりとした(=ケルト語で「ソグ」)」、「河川(=ケルト語で「ハン」)」という意味の合成語。「ソグハン」が転じて「セクアナ」となったようです。

 セーヌ川以外は、ドイツのライン川もケルト語を語源としています。ケルト語の「流れる」という意味があるそうです。またドナウ川はケルト語で「河川」という意味があります。ヨーロッパの二大河川の名称は、ともにケルト語を語源としていることはあまり知られていないかもしれません

 フランスの首都パリの名称もケルト語に語源があるといわれています。ケルト系のパリシー族という民族が住んでいたということで「パリ」となったという説。もう一つは、ブルターニュ地方にケルト人の王国があったことに因むという説。この王国の首都は「アイエス(IS)」といい、このアイエスのような美しい都市を作りたいということで、語尾に「IS」を付けて「PARIS(パリ)」と名付けたといわれています。「PAR」は「このような」という意味があり、「PARIS(=このように美しい)」という意味を持たせたそうです。どちらの説が有力なのかは分かりませんが、どちらもケルト語を語源としているところが面白いですね。

かつてヨーロッパを席巻したケルト人だからこそ、ヨーロッパの地名にはケルト語を語源とするものが数多く残っているわけです。

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